息によって、魂と身体が結ばれる。 息は橋だ。

息によって、魂と身体が結ばれる。 息は橋だ。

osho

 まず最初に....自分自身を見てみると、そこには身体がある。

 それは自分をめぐる第一の円環、最も外側の円環だ。

 それから心がある。

 第一の円環の内側にある第二の円環だ。

 そしてそこに橋がある。

 その橋こそが息、つまりプラーナだ。

 その橋によって人は魂と結ばれている。

 だからこそ、人が呼吸しなくなると、

 「彼は死んだ」と言われる。

 橋が壊れた。

 そして魂と身体が離れ離れになった。

 生まれた子どもが、まず最初に行うことが、呼吸だ。

 

息によって、魂と身体が結ばれる。

 

そしてまた、人が死ぬ時に最後にすることが、呼吸をやめることだ。

 再びそこには分離がある。身体と魂が離れる。

 プラーナは橋であり、

 あなたをたえずくっつけている糊でもある。

 人は食物なしで何日も生きられる。

 水なしで何時間も生きられる。

 ところが息なしでは、何分も生きられない。

 何秒かのうちに苦しくなる。

 息が橋渡しするもの、それは物質と非物質であり、

 形あるものと形なきものであり、また、世界と神だ....

 それらを何と呼んでもいい。

 

息は橋だ。

 

そして息は多くのものに影響を与えている。

 どのように息をするか、

 自分のプラーナの質は何か....それは多くのものに影響を与えている。

 見つめてごらん。

 怒っている時と、静かにしている時では、呼吸の仕方が違う。

 調子が違う。リズムが違う。

 怒っている時、息は規則的ではない。

 音楽的ではない。

 調和的ではない。

 不規則だ。

 興奮している時、

 性的に興奮している時、やはり息は熱っぽい。

 調子が整っていない。

 呼吸に何かおかしいところがある。

 静かに坐って、穏かに、何もせず、

 欲望も興奮も怒りもなく、ただ慈悲に満ち、愛に満ちていれば、

 呼吸は非常に柔らかになる。

 呼吸にリズムが現れ、ダンスが現れる。

 何の暴力もなく、攻撃性もない。

 呼吸はごく繊細になる。

 気づいたことがあるだろうか。

 興奮状態の時、息はとても臭くなる。

 ところが安らかである時、息はたいへん甘い匂いになる。

 自分がくつろいでいるから、存在全体もくつろいでいる。

 自分が安らいでいる時には、呼吸がそのことを表す。

 

 深い瞑想の中で、呼吸がほとんど止まる時がある。

 ほとんどだ。完全に止まるわけではない。

 でもほんとうに静かになるから、感じられないくらいだ。

 それが感じられるのは、鼻のところに鏡をもってきた時だけだ。

 そうすれば鏡の上に感じられる。

 そうせずには感じられない。

 それは、たぐいまれな祝福と恵みのひとときだ。