「過剰反応」と「後遺症」

 今「憲法記念日」を迎えて、「憲法改正論議」が盛んにおこなわれていますが、そこにはそれぞれの人が異なる知識や経験によって培われた価値観と、現状認識によってバラバラな反応を示しています。第一、「憲法」とは何か?という段階からそれぞれに「認識」に違いがあります。そもそも「憲法」それ自体が「物差し」なのか、「枠」なのか、少なくとも「憲法違反だから刑に処す」ということがない以上ほかの法律とは異なるものだという程度の認識ではないのか?

 まず、各家庭で「家内安全」「無病息災」を望まない家庭はありません。「憲法が平和の守り神」だとして「火の用心」のお札に様に張っておけば、地震にも遭わないし、火事にもならず、病気にもならず暮らせるものなら「平和憲法」を押し頂いて、神棚に祭っておくのもよいでしょう。「押し付け憲法かどうか?」などどうでもよい議論で(だってアメリカが日本を統治するために作った占領地統治法なので、時代が変われば当然すぐに変更されるのが世界の常識なのに、しかも5年を置かずアメリカは朝鮮戦争を戦うことになり、「日本再軍備」を要求して「警察予備隊」の設立を要求した段階で、「日本国憲法」が現実的でないことが明白になったにもかかわらず)、「アメリカに利用されて戦う軍隊」になることを拒むために、「アメリカが公式に認めた日本国の憲法に書いてある」ことを盾に、派兵を拒み続けて「憲法を変えず」にきました。

 そのことが、逆に日本国民にとって「国防意識」を欠落させ、「戦前のものはすべて否定する」「戦前の用語も制度も『危険物』である」というアレルギー反応を抱かせ、その結果「従軍慰安婦」とか、「南京大虐殺」を言い募られれば、「危険物」にふたをするように、相手の主張に理解を示して謝罪するのが「日本人らしい高潔な人格」といった錯覚を生み出してしまっています。同じような意味で、「教育勅語」なども、中身もよく知らないで、頭ごなしに「危険物扱い」を決めつけ、「持ち出すな!」「触らぬ神にたたりなし」的な対応で、「過剰反応」をを示します。1948年6月19日に国会で「教育勅語」を衆議院では「排除」参議院で「無効」の決議をしても、日本人は一方では「教育勅語は捨てた」と言いながら、実はGHQから「天皇陛下を日本統治に利用するには教育勅語は残し、靖国神社を残す」よう指示されていたために、「教育基本法」を作って、教育勅語の精神を普及させることを織り込ませました。それが今日の日本人の中に「象徴天皇を受け入れて教育勅語」を忌避させている根源なのです。

 以前、「主」という字は、「王様の上に冠が乗っている」のではなく、「燭台」の象形文字で、だから「主」は「柱」「駐」「注」のように「一か所にとどまって周囲を照らし、周囲はその主を基準に、そこを起点にして動く」といいましたが、「憲法」もその「国の法律の主」なのであって、国それ自体が大きくなったり、国際化したり、冷戦崩壊したり、昼夜、季節のように環境が変化すれば、それに伴って「衣替え」も必要なわけで、それを70年前の出来事に「過剰反応」して頭ごなしに「戦前のものはすべて危険物だから寝た子を起こすな」的な感覚で「子供のころのかわいい服を捨てきれない」とか、「東日本大震災の恐怖」の後遺症におびえて、「東日本復興」は「禁句にする」といったような「後遺症」を引きずってはなりません。

 一番の「過剰反応」は「原発反対」ではないでしょうか?それまで「原発は低コストで無公害の電気を供給できる」として世界が歓迎したものが、一転して「唾棄すべきもの」と決めつけられています。問題は2つ。一つは「想定外を想定できなかったこと」。もう一つは「科学の進歩」を信じないこと。「想定外のことが起きる」ことを、我々は「災難」と呼びます。でも、本当は自動車事故で死ぬ人の方がはるかに多いのに、飛行機が落ちたり列車事故で死ぬことの方が問題視される。中国からの輸入食品の危険性が報道されているのに、放置して多くの日本人が病気になっていても、問題視しないで、「原発は国の安全基準を引き上げて、想定外を想定して合格しても、危険物視はやめない」ことの方がおかしい。また、例えば昭和の時代に「尼崎訴訟」などで有名になった「排気ガス光化学スモッグ」など、「規制強化」によって、新しい安全基準に適合できるエンジン開発が達成されて解決しました。

同様に、原子力についても「厳しい安全基準」で運転を続けなければ、今存在する「原発廃炉技術の進歩」につながりません。例えば、今一斉に「原発運転禁止」にしたら全部問題が解決するのか?といえば、逆にその方が「危険を放置」したままになります。つまり低い安全基準のまま運転停止したら、そこに断層帯が通っていて直下型地震が起きたらひとたまりもありません。学校に耐震補強をしているように、全国の原発は「新安全基準」に適合させる必要がある。でも、「原発運転禁止」にすれば、誰も古い原発の補強に金を出しません。「過剰反応」をしたり、過去の記憶に引きずられて「後遺症」を残すと、判断を誤ることがあります。

 「教育勅語は危険物か?」中身をよく確かめて判断しましょう。世の中のことには、どこか欠点が潜んでいます。でも「明石の鯛でもはらわたを食ったら苦い。だから人間は「美味しい白身のところだけ取り分けて食べる」のであって、「鯛は食べない」とはなりません。そこのところの見極めが肝心かと思います。