読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

対談:荻野NAO之 × 中島智「亡霊としての芸術」

制作者だけでなく、他者と繋がりのある方は読んでみると

面白い発見があると思います。

難しい専門用語は無いからダイジョブダイジョブ。コワクナイコワクナイ^^

***

荻野 :

いろいろな幸運も重なって、セヌフォ族に会えたんですね。実際に会ってみて、どうでしたか?

中島 :

まず、美術観が変わりましたね。アフリカの美術を目の当たりにしたことで、それまでよりも相対的に、世界のアートを見られるようになった。いまは、ヨーロッパのアートが非常に大きな力を持っているように思いますが、じつはとてもローカルなものなんです。学校でも、ヨーロッパアートの枠組みを中心に学ぶことが一般的になっていますよね。でも、決して世界の中心というわけではない。セヌフォ族との出会いをきっかけに、僕自身がこれまでの枠組みにとらわれることがなくなりました。

儀式に現れる本質

荻野 :

研究としては、何か成果みたいなものがあったんですか?

中島 :

一応、造形の研究として行ったんだけど……結局、仮面とか彫刻っていうのは、儀式のなかにあるものですよね。だから、儀式も見たんです。

儀式を理解するうえで、僕自身に美術制作の経験があることが、とても役立ちました。制作経験がない人が、仮面や彫刻を見ると、まず意味を見出そうとするんです。「これは何を表現しているのか」ということ。だけど、僕の制作経験のなかでは、最初から意味があることなんてなかった。制作のプロセスのなかで、初めて意味が生まれてくるんです。だから、作者が作品をつくるのではなく、作品が、作者を更新していく。同じように、儀式も、行為そのものが重要。僕自身の制作経験と、民族の儀式には、そういう似た感覚がありました。

対談:荻野NAO之 × 中島智「亡霊としての芸術」

http://www.seikado.jp/11025