静かな至福

みずからのいのちのみなもと、

丹田にやすらぐこと以上の

喜びはありません。

ただ、ひたすらくつろぐ。

それは自分自身の中に

深く入っていくことであり、

みずからのいのちのみなもと、

丹田にやすらぐことです。

それは静かな至福そのものであり、

これ以上の喜びはありません。

ゆるゆる瞑想は、

ぼくの身体を通して思い出した方法です。

古代、

まだ人びとが素朴で純粋な時代、

共同体の中で

病気なおしや、健康のために集まって、

お互いのエネルギーをまわし合って

ひとりでは取り切れない疲れや、

からだの毒を流し取っていきました。

ただ、ゆるやかに丹田をまわす、

誰にでもできるからだの運動を通して行います。

日本人には丹田

とてもなじみのあるところ。

武道・茶道・書道・・・能、すべて丹田の文化です。

日本の文化は丹田から始まって丹田で終わります。

古い丹田のあり方は パワーの固まりにしていた、

戦いの時代の丹田でした。

武道で丹田を鍛えて

固めていました。

いま、新しい丹田のあり方

丹田はゆるめると

あったかくなり

ゆるんでいって

拡がって

光に変わり、

スペースになっていきます。

今朝、座禅をくんでいると、

丹田が拡がってスペースになり

自分の中心が丹田にある…

と、感じました。

チベットで行われている

瞑想メソッド、

問い、公案

あたまに浮かびました。

【私は、誰だ?】

Who am I?

よりも、もっと深い 問いかけ。

【私は、どこにいるのか?】

Where am I?

答えは・・・

新しい

丹田】だった。

内側と 外側をつなぐ

全ての中心 、生

命の源泉、丹田がスペースになり

光になり 、

ゆるやかな空間になった時・・・

人はリラックスして、

丹田の中にやすらぐことができる。

僕が、ゆるゆるをやっているのは

新しい次元の丹田のあり方を

無意識にやっていた

ということがわかりました。

oshoが肉体を離れる前、

禅宣言の時、

直接、瞑想を指導して

丹田に入っていくことをガイドしていました。

言うなれば、

ぼくにとってはoshoの

遺言のようなものです。

丹田に入っていくことが

悟りのもっとも早道です。

(シャンタンさんに代わりヌクイノブアキの投稿です)

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